#20 家を買う

夜の警備室で、誠一郎は不動産サイトを開いていた。施設警備の好きなところは自由な時間が多いところだ。巡回も終わり、仮眠時間だがモニター画面に映る物件情報が、彼の意識を捉えて離さない。

3週間前から不動産サイトを見て漁る生活を始めた、単調だが意味のある時間だった。夜勤明けで不動産内見。休日も内見。その繰り返しで、誠一郎は現実を学んでいった。

ネットの写真は嘘をつく。画面では清潔に見える室内も、実際に足を踏み入れると、築年数という時間の重みが、あらゆる場所で形を変えて姿を現す。壁のシミ、床の傾き、天井の僅かな歪み。写真は、それらの真実を巧妙に隠していた。

田舎道も教訓となった。物件までの道のりは、不動産取引の隠れた主役かもしれない。車がすれ違えない細い道。舗装が途切れる場所。そして——。

「ここにも蛇がいるな」
年長の誠一郎が、草むらを指さした。
「この前のと同じ種類です」
若い誠一郎は、冷静に観察する。もう驚かない。それも経験の一つだ。

ただいくら見ても完璧な物件なんてない。当たり前だ。500万で買える戸建があることもつい最近までしらなかった。

しかし運命というものは、人が疲れ切ったときに微笑みかけてくる。築30年の4LDK、400万円の物件は、そんな時に現れた。

「週末だけ使っている別荘なんです」
不動産屋の営業マンが説明する。確かに、人の気配が感じられる家だった。これまで見てきた物件の中には、床が抜け落ち、天井が消失した廃墟同然の家もあった。それらと比べると、この家は確かに「生きて」いた。

特に印象的だったのは、2階の和室から見える竹林の風景だった。風に揺れる竹の葉が、まるで訪れる者を歓迎するように、優しい音を奏でている。

「ここだ」
若い誠一郎の胸に、確信が芽生えた。

しかし現実は、いつも夢に冷水を浴びせる。自己資金400万。これには生活費も含まれている。諸経費を考えると、明らかに足りない。

「交渉するしかない」
年長の誠一郎が言う。
「ええ。営業マンとしての経験が、ここで役立つはずです」

感情に訴える。それが交渉の鍵だった。
「どうにかここを購入したいんです。ただ、資金が…」

数日後、売主から連絡があったと不動産屋から連絡があった。
「360万円でどうでしょう。ただし、家具は残置物として、処分をお願いしたいのですが」

「もちろん、承知しました」
即答だった。迷いの余地はない。

その後の1ヶ月は、準備の時間となった。年長の誠一郎のアドバイスで、金融機関への融資打診。政府系金融機関から200万円の融資を取り付けることができた。個人事業主としての開業届も既に提出済み。自己資金の存在が、信用度を高めた形だ。

もちろんリフォームも自分でする。DIYというやつだ。お金がないことはもちろんだが、自分でやってみたかった。

そのため初心者でもできる補修で済む物件を選んだ。壁紙やフローリング、やったことはないが「やればできる」はずだ。

そして今、鍵を受け取った瞬間。誠一郎は深いため息をついた。
「一つ、階段を登りましたね」
年長の誠一郎が、静かに頷く。

家の中に入る。埃っぽい空気が、新しい所有者を出迎えた。残置された家具が、無言で佇んでいる。
「まずは片付けですね」
若い誠一郎は、すでに作業の段取りを考えていた。不思議と面倒くさいとは感じない。これは誰かに命じられた仕事ではない。自分の意思で選んだ道。その実感が、すべての労力を意味あるものに変えていく。

夕暮れ時、2階の和室に腰を下ろした2人の誠一郎は、再び竹林を見つめていた。風に揺れる葉が、今度は新しい所有者に、確かな未来を約束するように揺れている。

「ようやく、ここからが始まりですね」
若い誠一郎の言葉に、年長の誠一郎は静かに微笑んだ。
時計が、新しい時を刻み始めていた。

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