社長との面談から一ヶ月。後任が決まった。隣の営業所の営業マン、年齢は同じ二十九歳。ほぼ同期の彼との引き継ぎが始まっていた。
取引先への挨拶回り。膨大な資料の整理。日々の業務の説明。その合間を縫って、誠一郎は年長の誠一郎に会って問いかけていた
「次の仕事は、どうすればいいんでしょうか?」
夕暮れ時のファミレス。いつもの窓際の席で、年長の誠一郎はコーヒーカップを回しながら答えた。
「失業手当でいい。半年間は無職でいよう」
「半年間も?」
「そう、それくらいの時間が必要なんだ」
年長の誠一郎は、若い自分の焦りを見透かしたように続けた。
「人生八十年として、半年なんてたった0.5%の時間だ。でも、この0.5%の時間の使い方で、残りの人生の質が大きく変わる。今まで走り続けてきただろう?立ち止まって、本当に自分は何がしたいのか、どんな人生を送りたいのか、しっかり考える時間が必要なんだ」
コーヒーカップから立ち上る湯気が、夕陽に照らされて金色に輝いていた。
「会社に所属していると、時間に追われ、ノルマに追われ、周りの評価に振り回される。その繰り返しの中で、本当の自分を見失ってしまう。人生を豊かにする為にお金を稼ぐ、その為に働く。それがいつの間にか「働く」ことが目的になる。手段が目的になってしまうんだ。半年という時間は、その本当の自分を取り戻すための、必要最小限の投資なんだ」
「当面は警備員の仕事がいい。施設警備なら時間も確保できる。お金はプラスマイナスゼロを保てばいい。俺も一緒に働こう」
「勝てなくても、負けない方法があるということですか?」
「そう、負けないイコール貯金が減らない。それだけでいい」
年長の誠一郎は、海を例に説明を始めた。
「大きな船に乗るより、小さな船を自分で動かせる技術を身につける。安定した状態を作るより、不安定な状態で安定する方法を学ぶ。沖に出すぎず、すぐ避難できる。浅いところで、沈んでも足がつく場所を選ぶ」
夜の帳が降りていく中、二人は新しい航路の設計図を描き始めていた。若い誠一郎の心の中で、不安と期待が交錯する。しかし、それは以前のような漠然とした感情ではなく、確かな方向性を持った波のようなものだった。
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