「お前はどうなりたい?」
その問いかけに、若い誠一郎は思わず「えっ?」と声を漏らした。ドリンクバーから注いだコーヒーのグラスを持つ手が、わずかに震える。
ファミレスの窓から差し込む午後の陽光が、テーブルに置かれたハンバーグの皿を照らしている。年長の誠一郎は、若い自分の戸惑いを見逃さなかった。
「唐突な質問で困ったよな」
年長の誠一郎は、ゆっくりとナイフを置いた。
「さっきも言ったが、俺は三十年後の君自身だ。当然、三十年前には同じ時間を生きている」
その言葉には確かな重みがあった。
「いま、どんな悩みを持っているのかも手に取るようにわかる。今の会社で未来が見えないんだろう?」
若い誠一郎は静かにうなずいた。もはや目の前の男性が三十年後の自分だということを疑う余地はなかった。背格好や話し方、何より、その目が同じだった。自分しか知り得ない感情を、これほど的確に言い当てられるはずがない。
「最初は楽しかったんです」
言葉が、自然と溢れ出す。
「営業所長を始めて、営業所の売上も上がって。会社での評価も上がりました。前職のホテルマンをとっくに上回る収入も…」
言葉を続けながら、若い誠一郎は気づいた。これは誰かに打ち明けたかった本音だったのかもしれない。
「でも最近は、いつまでこれを続けるんだろうって。毎月のノルマは月初にリセットされる。前年から120パーセントの増収目標。でも、いつか限界が来るのは明らかです」
コーヒーが冷めていく。しかし、誠一郎の言葉は止まらなかった。
「車両の数だって限りがある。他の営業所のベテラン所長は、やりやすいように売上をセーブして手を抜いてるって知ってます。相当ひどくならない限りクビにはならないって…六十歳以上の所長だっているんです」
一気に言葉を吐き出し、若い誠一郎は深いため息をついた。
「この先のキャリアは社長しかない。でも、家族経営だから、それは無理です。かといって転職しても、約束された場所なんてどこにもない。考えていても、仕事の電話で思考が止まってしまう」
年長の誠一郎は、若い自分の言葉を静かに聞き終えると、ゆっくりと口を開いた。その表情には、どこか懐かしさのような感情が浮かんでいた。
「じゃあ、誠一郎が社長になれる方法を考えよう」
その言葉に、若い誠一郎の呼吸が止まった。
「ひとまず、この会社は辞めよう」
「え?」
「やるべきことは一つだけだ。社長に『辞めます』って言うだけ」
年長の誠一郎の声には、迷いがなかった。
「成長させてくれた会社だ。後腐れなく辞めるために、後任の選定と引き継ぎが必要になる。辞めるための期間は三ヶ月。それで十分だ」
窓の外では、夏の風が木々を揺らしていた。若い誠一郎の心にも、何かが揺れ動いていた。
「念のため言っておくけど、無責任なこと言ってるつもりは1ミリもないよ」
年長の誠一郎は、若い自分の目をまっすぐ見つめた。
「だって、俺のことだもん」
その言葉に、確かな未来への希望が込められていた。
「どう?希望出てきた?」
若い誠一郎の胸の中で、長い間押し込められていた何かが、少しずつ形を成し始めていた。それは、おそらく”変化”への期待。そして、同時に”決断”への不安。しかし、目の前にいる三十年後の自分が、その全てを理解しているという確信が、不思議な安心感を与えていた。
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