社長室の大きな窓から、街の喧騒が遠く聞こえてきた。城山誠一郎は革張りの椅子に深く身を沈め、目を閉じた。地方都市とはいえ一等地に建つこのビルは、彼が二十年の歳月をかけて築き上げた帝国の象徴だった。しかし今、その重みが肩に重くのしかかっていた。
昨日も、右腕と言っても過言ではない営業部長の山田と言い争いになった。「もう限界です。こんな働き方では家族との時間が持てません」。その言葉が、まだ耳に残っている。
誠一郎は五十九歳。独身を貫いてきた彼には、山田の言う「家族との時間」の切実さが、正直なところピンときていなかった。仕事一筋で築き上げてきた会社。それなのに、なぜ若い世代は理解してくれないのか。
額の皺を指でなぞりながら、誠一郎は立ち上がった。木曜の午後三時。今日はいつもの習慣通り、仕事を早めに切り上げてサウナに向かうつもりだった。最近では、この週に一度のサウナタイムだけが、彼にとって唯一の息抜きとなっていた。
スマートフォンを手に取り、メールを確認する。未読が76件。そのほとんどが緊急対応を要する案件だろう。しかし今日は無視することにした。たった数時間、この重圧から解放されたかった。
高級スポーツクラブの会員専用サウナは、いつもながら空いていた。週の真ん中、この時間帯を狙って来るのは、誠一郎の長年の知恵だった。サウナ室に入ると、じわりと体が温まっていく。九十度の熱気が、凝り固まった筋肉をほぐしていく。
「もっと早くこうしていれば良かった」
唐突に、そんな思いが頭をよぎった。何に対する後悔なのか、自分でも分からない。ただ、この数年、そんな思いが頻繁に湧いてくるようになっていた。
十分ほど過ごした後、誠一郎は水風呂に向かった。いつものルーティーンだ。しかし、その瞬間、体が激しく反応した。心臓が締め付けられるような痛みと共に、視界が歪み始める。
「まずい…」
それが、誠一郎が意識を失う前の最後の言葉となった。
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